「サーキュラーHR」プロジェクトは、おかげさまで2023年1月に3周年を迎えます。この間、私たちは新型コロナウイルスの影響やサステナビリティの観点から、これまでの社会や組織のあり方を問う多くの声に接してきました。世界では、社会と経済のあらゆる側面を刷新する「グレート・リセット」や、経済復興にあたり環境に配慮した回復を目指す「グリーンリカバリー」という言葉が注目を集めては忘れられていきました。
気候変動問題や人権への対応が企業に強く求められる中、人事界隈では2022年にどんな動きがあったのでしょうか。サーキュラーHRの稲葉哲治編集長が、これまでご紹介してきた記事とともに業界の動向を振り返りながら、2023年に経営者や人事担当者がとるべきアクションを語ります。
「人を大切にする気持ち」を経営に反映する
編集部:社会や経済が新たな枠組みの中で回復に向かう中、企業のあり方はこれからどう変わっていくのでしょうか。
稲葉編集長:新型コロナウイルスの感染拡大は、日常生活を維持するために必要な仕事に従事する「エッセンシャルワーカー」の大切さを私たちにあらためて教えてくれました。こうした流れの中で、企業は「人を大切にする気持ち」を経営に反映するとともに、コロナ禍を契機とする暮らしや働き方の変化を持続可能な社会の実現につなげていくことが求められています。2022年はこれらの点に着目し、サーキュラーHRでは「企業は本質的な変化をどう定着させていくか」「個人が新しい働き方にどう対応していくか」「見過ごされてきた“小さな声”」の3つをテーマに取材を行ってきました。
2022年も終わりを迎えようとしている今、感じているのは、働き方をはじめとする変化への取り組みが、現時点では表面的かつ一時的なものになっていないかということです。「グレート・リセット」や「グリーンリカバリー」は失敗した、と悲観的になる方もいるのではと思います。
稲葉:新しい働き方への可能性は感じることができた社会。けれど、そう簡単には進まない現実。その間にひずみが生じ始めているように感じます。「変わらなければならない」という意識が先行する中で、企業は形式的にでも持続可能な社会や働き方に向けた変革に取り組まざるを得ない状況にあるのかもしれません。
2023年は、既存のあり方や仕組みが打ち砕かれ、本質的な変化に向けて企業や個人が動き始める年になるのではないでしょうか。理想と現実とのひずみの中で、これからたくさんの闘いや苦しみが生まれると考えられます。サーキュラーHRとしては、そうした声を取り上げていきたいと考えています。
自律的な働き方とは「自由度の高い組織に所属」することではない
編集部: 新しい働き方という面では、リモートワークの増加や企業による副業解禁など、この数年で個人が働き方を自由に選べる機会が広がったように感じます。
中村さんの記事は、この半年で最も多く読まれた記事の一つであり、新しい生き方・働き方に関心を持つ方が多いことがうかがえます。裏を返せば、こうした働き方ができそうでできなかったことに対する反動ともとれるでしょう。企業の中には課題を抱えつつもリモートワークを継続するところもあれば、オフィス出社に回帰する動きも見られます。その結果、「自由度の高い組織に所属したい」という気持ちで動く方が増えているように感じます。転職市場でも、リモートワークの可否が職場を選択する上での重要な要素になりつつあるようです。
一方で、サーキュラーHRが本質的に目指すべき姿は、個の自立であり、一人ひとりが自身を資源として育て、さまざまな価値を生み出していく社会です。個人が自由を与えてくれる企業に頼るだけでは、自律的な働き方が進んだとは言えないのではないでしょうか。ここ数年で、許容範囲の自由を与えてくれる組織への隷属志向が強まったのであれば、本質的な社会変化としては退化しているのかとも思います。
本質的な変化を支えるのは、仕事を通じて人を育てる仕組み
編集部:コロナによる社会の変化はもちろんですが、昨今では環境や人権などサステナビリティの観点からも企業は変革を求められています。
稲葉:サステナビリティへの取り組みが必要だという認識は広まってきていますが、持続可能性の意味を「現状を維持すること」ととり違えている企業も少なくありません。一方で、「現状を否定して、持続可能な状態に変化させる」というサステナビリティの本質をしっかり捉えて、着々と実践し続けている企業もあります。サーキュラーHRが取材したハリズリー(土屋鞄)とLUSH(ラッシュ)が、その好例です。両社に共通する特長の一つが、仕事を通じて従業員が育っていく仕組みを構築していることです。
ハリズリーでは、キャリア採用に加えて、この2年間は新卒採用にも注力してきたそうです。同社執行役員の三木芳夫さんは、「新卒採用、キャリア採用の人材が入り、既存の人材がサンドイッチのように挟まれると、自然に人材が『押し出されて』、動きが出てきます。そこで新しい役割にチャレンジする機会を用意しておけば、組織内で人材の循環が起こりやすくなる」とおっしゃっていました。既存の事業は新しい人材が回すので、知識や技術、ノウハウが自然と広まっていく。一方で、既存の人材は新規事業へのチャレンジを通じて新しいスキルを身につけられる。新しい人的資源を獲得する機会を提供すると同時に、組織としても成長や拡大を目指せるすばらしい取り組みです。
稲葉:ラッシュのヒエラルキーがない「バスタブストラクチャー」の話も印象的でした。
“バブルバーをバスタブのお湯に溶かすと、泡風呂になり、底から上に向かって、色々な形の泡が楽しそうに上がってきます。一番上の泡の部分がお客様。その下に、お客様に一番近いところで働く人たち、ショップスタッフやそれを支えるショップマネジメントチーム、商品の製造などに直接携わる製造のフロアメンバーがいます。そして、バスタブの下のほうで支えているのが、サポートチームや管理職、シニアマネージャーです”
同社では、立場や肩書きにかかわらず、意見を言いたいときにはすぐに伝えられる関係性があるそうです。コミュニケーションの断絶がない組織づくりや運用ができており、それが人的資本のブラッシュアップや組織・事業の進化につながっているように思います。
編集部:組織内でどうしても序列を書くなら一番上にくるのが現場のスタッフという点も、「エッセンシャルワーカーの大切さ」を組み込んだ経営のように感じます。
稲葉:ラッシュはコロナ禍以前から、人を大切にする組織づくりを行っています。2020年2月に同社を取材したときに、当時人事部門の責任者だった安田雅彦さんがおっしゃった「『とりあえず安心して働け』と言える会社でありたい」という言葉が心に残っています。人間なので、苦しかったり、やる気が出なかったりすることもあります。でも、この会社で働いてさえいれば、社会とつながっていられる、誰かのためになっている。従業員一人ひとりがそう感じられる導線をしっかり引いてあげることが経営の仕事であり、パーパス経営(自社の存在意義を明確化し、社会に与える価値を示す経営手法)の本来の目的であるように思います。
これらは「人材版伊藤レポート2.0」で繰り返し説かれている、「動的な経営戦略と人材戦略を連動させること」「常に学ぶ体制を作る」の好事例であり、他の企業も参考にしていっていただきたいです。
「小さい声」を真摯に受け止めて、変わらなければならない
編集部:持続可能な社会の実現に向けて本質的な変化を遂げている企業は、従業員一人ひとりの価値をしっかり引き出す組織づくりをしているということですね。
稲葉:まさにSDGsの17項目、すべての大前提になる「誰一人取り残さない」という考え方を実践していると言えます。昨今では、いわゆる“マイノリティ”と呼ばれる方々、既存の社会や組織のあり方に苦しんでいる人びとが以前よりも声を上げやすくなってきました。サーキュラーHRでも、ヤングケアラーやDV被害者、就職活動の中で男女二元論の価値観に苦しんでいる方など、これまで見過ごされてきた「小さい声」を取り上げてきました。また、「ビジネスと人権」をテーマに先住民などをはじめとする「小さい声」と企業との「対話」を促進するナレッジプラットフォーム「SocialConnection for Human Rights」Co-founderの鈴木真代さんにも話をうかがいました。
一方、多くの企業ではコロナ禍からの回復を図る中で、こうした「小さい声」への対応が後回しになっていないでしょうか。2022年5月に発表された第2版「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書(人材版伊藤レポート2.0)」を取り上げたサーキュラーHRの記事でも、契約形態やさまざまな制約によってフルタイムで働けない方など、自分自身では動的に動くことがままならない、立場が弱い方への視点が欠けていると指摘しました。
フェムテックに関して言えば、女性が抱えるライフステージごとの健康課題と社会システムとのギャップを解消し、その活躍を推進するための技術や商品というのが、本来の目的だったように思います。ところが、一部ではこれまで企業で中心的な役割を担ってきた男性らによって、その言葉が都合よく解釈され、単なる新しい市場としてしか捉えられていないケースもあります。その背景には、自分たち(男性)がつくってきた組織のあり方が壊されることへの恐れがあるのではないでしょうか。
フェムテックが「テック」でもなければ「フェム」でもなくなっている現状には苦笑しかありませんが、本来の目的の真逆である「既存の男性社会の便利な道具として女性を搾取していくための仕組み」になってしまっているのであれば、見過ごせないことかと思います。
既存のシステムに苦しむ人びとの声は、今も続々と上がり続けています。例えば、パタゴニアでは非正規労働者が労働組合を結成して、待遇改善への訴えを起こしています。企業は、こうした声を聞き流さず、または対立せずに真摯に受け止めて、変化していかなければなりません。これまで以上に、人を大切にする姿勢や対話力、懐の深さが求められることになります。
対話を重ね、社会全体で人的資本をどう活用していくべきかを考える
編集部:2022年は「人的資本経営」への関心が急速に高まった年だったように思います。
稲葉:人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」の重要性は、私たちもずいぶん前から主張してきました。ただ、企業は現状、形式的なものばかりに労力を費やしており、大事なものを見失っているのではないかと懸念しています。人的資本経営も、本質的には2021年に注目を集めた「ビジネスと人権」や、もっと前から言われている「ダイバーシティ経営」と同じです。企業は、事業活動の中で社会的立場が弱い方々の人権をいかに守れているか。結局は、そこに尽きると思います。
多様性を尊重する気運が高まっている中で、「みんな違って、みんないい」という言葉をよく見聞きしますが、個人的には相手に関心を持たず、「みんな違う」と突き放してコミュニケーションを断絶させる言葉のように思えます。多様性を受け入れるために、自分と異なる側面を持つ人びととどう交流して、歩み寄るのか。なぜ、その人びとが苦しんでいるのか関心を示して、自分たちが変わろうと努力する。この視点が欠けているのではないでしょうか。
人的資本経営では、これまで見過ごされてきた「小さい声」を含むさまざまな従業員との対話を通じて多数派を標準としてつくられた組織の制度や文化を変え、「みんながめぐり、育つ未来」の実現が求められます。人的資本やSDGsを掲げながら、特権的で同質的な仲間同士のみ恩恵を受けて「小さな声」を踏みにじっている企業や個人は、猛省すべきです。
持続可能な社会に向けて本質的な変化を遂げるためにも、企業はこの言葉が持つ意味と今一度向き合い、組織内だけでなく社会全体で人的資本をどう活用していくべきか真摯に考える必要があるのではないでしょうか。
【執筆:岩村千明 編集:髙橋三保子】
<サーキュラーHRへのヒント>
- サーキュラーHRは、個人が自立し、一人ひとりが自身を資源として育てることで、さまざまな価値を生み出していく社会を目指している。
- サステナビリティの本質をしっかり捉えて変化し続けている企業は、仕事を通じて従業員を育てていく仕組みを構築している。
- 社会的立場が弱い方々から上がってくる「小さい声」を聞き流さず、または対立せずに真摯に受け止めて、対話を重ねながら変化していくことが重要。
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