「SDGs(※1)」や「ESG経営(※2)」という言葉を耳にする機会が増えました。
理念としては知っていても、自分たちのビジネスをどう変えていけばいいのか、具体的な方法がわからないという方も多いようです。
そこで今回は、日本におけるESG分野の第一人者である株式会社ニューラルCEOの夫馬賢治さんに、日本企業のESG経営の現状や、ESG経営に舵を切りたいと考えている経営者、人事担当者ができることを教えていただきました。
※1 SDGs…2015年9月の国連サミットで採択された「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」。
※2 ESG経営…環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)に配慮した経営スタイル。
「持続可能ではない」という自覚を持てない日本企業
稲葉編集長:まず最初に、夫馬さんが現在取り組んでおられることを教えてください。
夫馬賢治さん(以下、敬称略):サステナビリティ経営やESG投資について、日本ではまだ体制ができていない、行動ができない組織が多いのが現状です。そういった企業を対象に、コンサルティングやアドバイザリーを提供する会社を経営しています。
稲葉:私たちは「サーキュラーHR」というプロジェクトを通じて、HR領域でのサステナビリティを実現したいと考えており、今日はそういった角度からESG経営についてお話をうかがえればと思います。
夫馬:SDGsやESGというと、気候変動など環境問題を思い浮かべる人が多いと思うのですが、ESGの「S(Social)」の大半は組織で働く従業員です。ESG経営においても、人事や人材の問題はかなりウエイトが大きいと言えます。その意味で、サーキュラーHRのような事業は重要ではないでしょうか。
稲葉:ありがとうございます。今、SDGsに配慮しているように見せかけながら、実態が伴わない「SDGsウォッシュ」の問題が日本でも指摘されるようになっています。人事や組織作りについても、企業が目指していることと、従業員の思いが一致していないという声をよく耳にします。なぜこのような問題が起こってしまうのでしょうか。
夫馬:日本では、多くの企業の経営陣が、自分たちの事業が「持続可能ではない」ということを自覚していないのだと思います。人事の領域でも、経営陣は今の組織や働き方が持続可能だと思い込んでいますが、従業員はまったくそう感じていないというずれが生じているのではないでしょうか。
稲葉:2018年に『ティール組織』が出版されて話題になりました。組織のあり方も変革が必要だと言われてずいぶん経ちますが、なぜ経営者はシフトチェンジができないのでしょう。
夫馬:経営者にとっての判断基準は「事業が存続しけるのかどうか」ということです。事業の存続に関わらない限り、これまでのやり方を変えることはしないでしょう。たとえば地球の資源が破壊され温暖化が進むとしても、従来のやり方で多くのお客さんが商品を買ってくれるとすれば、ビジネスモデルを大きく変えるという判断はしないはずです。日本では多くの経営者が、自分たちの業界や事業が10年後、20年後もまだ生き残れると考えているということですね。
いいことも悪いことも開示する「透明性」が重要
稲葉:世界に目を向けると、やはりもっと広い視野を持ってESG経営に舵を切っているのでしょうか。
夫馬:海外では、大企業からどんどん変わっていっていますね。日本とは次元が違うという印象です。日本の一般的な経営者に「なぜサステナビリティ(持続可能性)が大切なのか」と質問をしたら、「最近の若者がサステナブルなものを求めているから」と答えるかもしれません。海外の大企業はそのようなレベルではなく、根本的にやり方を変えなければ生産ができなくなる、本当の意味で事業を続けられなくなるという強い危機感を持っています。
サステナビリティやダイバーシティについても、社会性だけでなく経済的合理性がなければ、企業は動きません。会社が倒産してしまっては意味がないですから。たとえばアメリカでは、社会格差是正のために企業が多額の投資をしていますが、それは格差が広がり社会が荒廃すれば、紛争や暴動などが起こり、正常な経済活動ができなくなってしまうからです。なぜESG経営が重要なのかという広い意味での想像力が、日本では欠如しているのだと思います。
稲葉:かつて大量消費の象徴だったファストファッションブランドも、海外では批判を受けてどんどんシフトチェンジしていますね。
夫馬:海外の経営者たちは、消費者から批判されることをむしろ歓迎しています。「批判されるたびに改善しなければならないポイントが見つかり、事業の事業可能性を強化できる」と考えているからです。
たとえばリーバイスは、かなり早い時期にサプライヤーの全公開に踏み切りました。競合にも発注先がわかってしまうわけですが、それでもあえて公開したのは、NGOや現地の人たちに、サプライヤーの実態を明らかにしてくれることを期待したからだと聞きました。
稲葉:日本でも少し前に、「プラスチックごみが増えるお菓子の過剰包装をやめてほしい」と高校生が菓子メーカーに意見を寄せ、それに対するブルボンの回答が誠実なものであるとして話題になりました。これからの企業には「できていないところをあえて見せ、プラスに転じることで投資を呼び込む」というコミュニケーションが必要なのかもしれません。
夫馬:大切なのは、いいことも悪いことも含めて開示していく「透明性」だと思います。世界では当たり前のことなのですが、日本ではまだできていない企業が多いです。
ESG経営に舵を切る上で最大の抵抗勢力は人事部
稲葉:さまざまな企業の方にお話を聞いていると、組織の中に失敗を避けようとする風潮があり、新たな挑戦、イノベーションが生まれないという課題感を持っている方が多いようです。そういったことも、日本企業がなかなか変われないひとつの要因なのでしょうか。
夫馬:まさにそうだと思います。日本企業がESG経営に舵を切る上で最大の抵抗勢力は、人事部ではないでしょうか。残業時間、有休消化率、離職率などの数字も、人事部でストップがかかって公開することができない企業はかなり多いです。短期的な視点で会社のイメージが悪くなることを恐れているのだと思いますが、今開示して変えていかなければ、5年後、10年後に向けて「人を資源として育んでいく」という文化を根づかせることは難しいと思います。
稲葉:かつて人事部は「伏魔殿」などと言われていました。透明性の高い組織に変えていくためには、どうすればいいのでしょうか。
夫馬:日本では、「人事部は情報を秘密にしなければいけない部署」と思い込んでいる方が多いです。唯一風穴を開けられるとしたら、経営者からトップダウンで「情報を開示しよう」と言うしかないでしょうね。
稲葉:人事やHR領域で仕事をしている人は、社外に出ても同じ分野の人としか情報交換をしない傾向があると思います。
夫馬:私も、もともとHRの分野で仕事をしていたので、とてもよくわかります。人事部の中でも、特に採用や給与社保を担当している部署は、他の部門との交流も少なく、会社の中で一番コミュニケーションが少ないのではないかと感じます。
日本では、そもそも離職率を計算していない企業も多いので、まず数字を明らかにして、経営陣で共有することから始めましょうとお話しすることも多いです。現状が見えるとようやく問題意識が芽生え、開示することでコミットメントを高めていこうという方向を目指すことができるのではないでしょうか。
経営者が自分たちの「マイナス」を自覚する
稲葉:ESG経営を実現するためには、経営者の資質が非常に重要なのですね。
夫馬:経営者が自分たちの「負」の部分、マイナスを自覚するということが必要だと思います。ただ、残念なことにこれまでの日本企業では、従業員に対して「わがままを言う人たちをどうやって働かせるか」というとらえ方をする経営者が多いと感じます。その価値観を変えなければ、歯車はいい方向に回っていかないのではないでしょうか。
稲葉:サーキュラーHRを運営するWarisでは、女性のリーダー層や役員を増やしていく「Warisエグゼクティブ」というサービスをローンチしました。違う視座を持った社外取締役が増えることで、経営における意思決定も多様化が進むのではないかと考えています。
夫馬:社外取締役は、社内のしがらみがない状態で、その会社がこれから成長していくために必要なことをフラットに指摘することができます。日本でも社外取締役が増えつつあるのは良い傾向だと思います。
スキルの再開発は、個人が会社の外で行動するしかない
稲葉:持続可能性を大切にする方向へ社会システムが大きく変わりつつある中で、企業が能力を発揮できる人材を育てていくためには、どうすればいいのでしょうか。
夫馬:サーキュラーHRのテーマのひとつである「スキルの再開発」は、国際的にもフォーカスが当たっている非常に重要な分野です。しかし、日本では経団連が「会社に頼らず自律的なキャリア形成をしてください」という趣旨のメッセージを発しています。日本企業には、もう個人をリスキルするだけのキャパシティがない。これからは、会社の外で一人ひとりが自分たちで動いていくしかないという厳しい状況と言えます。
稲葉:企業が人材育成力を失っていく中、パラレルキャリアを人材育成の機会にするなど、個人のセンスが問われているのかもしれません。自分を律していかなければならないという意味では厳しい時代ですが、自分自身でキャリアを創っていけるというポジティブな見方もできそうです。
夫馬:確かに、イノベーター、アーリーアダプターなど、積極的に行動を起こせる人にとっては、事業機会を創っていけるいい時代だと思います。ただ、自分から動くことができない人には、やはり危機感を伝えていくしかないのかなと感じることもありますね。
私が就職した20年前に比べると、最近は、20代の人が躊躇せずに転職するようになっています。人事やHRのあり方はそう簡単には変わらないので、10年、15年という長期的な視野で、働きやすい環境を作っていくことが重要だと考えています。
ーー今、ESGの分野で働きたいと考える人が増えています。何をどう学び、どんなスキルを身に着ければいいのか、夫馬さんのご経験から教えていただけますか。
夫馬:ESGやSDGsの領域は「総合格闘技」です。たとえば気候変動の問題ひとつとっても、水、ダイバーシティ、貧困など幅広いジャンルにつながっているので、一部を切り取ることが難しい分野なのです。最初からパーフェクトになるのは不可能だと割り切って、じっくり時間をかけてさまざまな経験を積まなければ一人前にはなれないと思います。
すぐにできることとしては、今の仕事の中で何ができるかを考えるといいのではないでしょうか。今、自分が働いている会社、自分の部署を内側からどう動かすかを考えることから、サステナビリティがスタートすると思います。
稲葉:ESGやSDGsを今すぐ仕事にできるかどうかではなく、まずは今目の前にある仕事をサステナブルにするという発想が大切なのですね。今日は貴重なお話、ありがとうございました。
<サーキュラーHRへのヒント>
- 日本では、多くの企業の経営陣が、自分たちの事業が「持続可能ではない」ということを自覚できていない。
- 海外の大企業は、根本的にやり方を変えなければ生産ができなくなる、本当の意味で事業を続けられなくなるという強い危機感を持ってESG経営に舵を切っている。
- 日本企業がESG経営に舵を切る上で、情報を開示しない人事部が抵抗勢力となっている。風穴を開けるには、経営者から「情報を開示しよう」と言うしかない。
- 今の日本企業には、個人のスキルを再開発するキャパシティがない。これからは、一人ひとりが会社の外で自律的に動いていくしかない。
【プロフィール】
株式会社ニューラルCEO/戦略・金融コンサルタント
夫馬 賢治
サステナビリティ経営・ESG投資アドバイザリー会社を2013年に創業し現職。東証一部上場企業や大手金融機関をクライアントに持つ。著書『データでわかる 2030年 地球のすがた』(日本経済新聞出版)、『ESG思考』(講談社+α新書)他。国連責任投資原則(PRI)署名機関。世界銀行や国連大学等でESG投資、サステナビリティ経営、気候変動金融リスクに関する講演や、CNN、フィナンシャル・タイムズ、エコノミスト、ワシントン・ポスト、NHK、日本テレビ、テレビ東京、TBSラジオ、日本経済新聞、毎日新聞、フォーブス等メディアからの取材も多数。ニュースサイト「Sustainable Japan」編集長。ハーバード大学大学院リベラルアーツ修士課程(サステナビリティ専攻)修了。サンダーバードグローバル経営大学院MBA課程修了。東京大学教養学部(国際関係論専攻)卒。
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