今、「ビジネスと人権」をめぐる議論が活発になっています。「人権デューデリジェンス」という言葉が気になっている人も多いのではないでしょうか。グローバリゼーションにより、時には一企業が国家と同じくらいの影響力を持つ時代、企業にも、人権意識が強く求められています。人権を守るために企業は何ができるのか、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局次長をつとめる弁護士の佐藤暁子さんにお話をうかがいました。
どんな企業にも人権を侵害するリスクがある
稲葉編集長:はじめに「ビジネスと人権」についての基本的な考え方を教えてください。
佐藤暁子さん(以下、敬称略):巨大な多国籍企業が、場合によっては国家予算よりも大規模な経済活動を行う時代、新興国での労働力の搾取や、企業活動が環境に与えるマイナスの影響が問題視されるようになりました。
そんな中、2011年に、国連の人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則(指導原則)」が全会一致で承認されました。指導原則では、企業が国際人権規範に沿って、人権を尊重する責任を負うことを定めています。企業は調達から製造、販売、消費までの一連のプロセス(サプライチェーン)の中で、人権侵害のリスクを特定し、予防・救済を行わなければなりません。どんな取り組みをして、結果がどうだったのかを明らかにする義務もあります。これが「人権デューデリジェンス」の考え方で、各国、とりわけ欧米諸国を中心に急速に広がりつつあります。
稲葉:企業活動のグローバル化が進む中で、大企業だけでなく、たとえば小さな町工場でも、世界とつながっていることを意識し、人権を尊重しなければならない状況になっていると感じます。
佐藤:そうですね。調達から販売までの一連のプロセスでは、大企業だけでなく、中小企業も重要な役割を担っています。国内のサプライチェーンであっても、たとえばLGBTQの方が働いているなど、人権を意識する機会は増えています。事業規模や地域にかかわらず、どんな企業にも人権を侵害するリスクはあり、ゼロにすることはできません。まずそのことを認識し、実効的な取り組みができるよう議論することが必要です。
人権への関心が高まるきっかけになった「ウイグル問題」
稲葉:ここ1年ほどの間に、日本企業の間でも「ビジネスと人権」に対する関心が高まっていることを感じます。人権をテーマにしたセミナーなども各地で満席になっていますが、なぜこれほど注目されているのでしょうか。
佐藤:前提として、人権デューデリジェンスの考え方自体は、まったく新しいものというわけではありません。これまで可視化されていなかった問題が取り上げられるようになり、議論しやすくなったということだと思っています。
そのような中でも日本企業にとって大きなきっかけになったのは、ユニクロの「ウイグル問題(注1)」と言えます。
(注1)2021年1月、アメリカの税関が、ユニクロのシャツの輸入を差し止めた。少数民族の強制労働が問題になっている新疆ウイグル自治区で作られた綿を使用しているのではないかとの疑い。フランスの検察も捜査に乗り出したが、ファーストリテイリングの柳井会長は、当初人権問題について明言を避け、国際的に批判される事態となった。
ビジネスと人権の認識や実践については、欧米企業は日本よりも進んでいました。そんな中、ユニクロの問題がグローバルなメディアでも取り上げられ、これまであまり関心を寄せていなかった日本企業も「どうやら人権について何かやらないといけないらしい」と気がついたのではないでしょうか。
稲葉:ウイグルの問題は、メディアに取り上げられる以前から問題になっていましたが、柳井会長の発言とその後の報道によって、多くの経営者が危機感を持ったのですね。
佐藤:そのほか、日本では、CMの炎上などで批判されることで、初めて企業が人権問題を認識することが多いですね。
稲葉:佐藤さんがかかわっているビジネスと人権に関するセミナーには、どんな人が学びに来るのですか。
佐藤:ESG担当の方、サステナビリティ担当の方など、さまざまですね。本当は、経営企画の方にも知っていただきたいのですが、関心を持っている方はまだ少ないようです。
稲葉:新しい事業を展開していく上で、経営企画の方にこそ、事前に人権リスクを知ってほしいですね。
佐藤:どうしても事業を拡大する方向に意識が向いてしまうのでしょうか。でも、一度立ち止まって、一段高いところ、グローバルな人権の視点から取引先、取引先の取引先まで見てみようとお伝えしたいです。もちろん手間はかかりますが、人権リスクはめぐりめぐって経営に対するリスクになりますので。
意見を表明しないことは、問題に加担しているのと同じ
稲葉:社会問題が起こったときに、法人としての価値観を表明しなければならないという方向へ、世の中が変わってきていることを感じます。
佐藤:日本には昔から「三方よし」という考え方がありますよね。買い手よし、売り手よし、世間よし。製品やサービスを通じて社会に対していいことをするというメッセージを発してきたと思うのです。
一方でこの社会には、内在化された差別や偏見や格差があり、その構造の中で利益を得ているということを、企業は忘れてはいけないと思います。社会のアクターとして、それらの問題にどう向き合うのか、持続可能で多様な社会の実現に向けて取り組む意志があるかどうかを見られているのだと思います。
社外からの視点だけでなく、女性やLGBTQなど、従来の企業活動の中で人権を踏みにじられてきた人びとの、社内からの声に応えることも大切です。
稲葉:社内の声が企業の戦略やプロジェクトに反映されることも増えてきていますね。ファミリーマートが国内外での議論の高まりを受け、いち早く生理用品の割引に踏み切ったのも、会社で働く人たちの意識が社会問題とリンクした好例だと思います。
佐藤:日本企業は長時間労働、仕事人間を是としてきた歴史があるので、会社の中にしかアイデンティティがないという人も多いです。意見を表明せず、何もしないことは中立ではなく問題に加担していることになるという意識を日本の多くの人が持ちにくいのは、そういったことが関係しているかもしれません。
労働時間が適正になれば、社会問題に関心を持ったり、会社の外のコミュニティに参加する余裕も生まれるのではないでしょうか。コミュニケーションが豊かになって、企業の中にいる個人も社会に対してインパクトを与えることができる社会になるといいなと思います。
経営陣のダイバーシティ推進が変革の鍵
稲葉:日本では、企業で働く人が「社会人」ではなく「会社人」になってしまっていますよね。サステナビリティ(持続可能性)やジェンダーの問題について、個人として理解はしていても、会社に働きかけ、具体的なアクションをすることはあきらめてしまう人が多い印象です。
佐藤:日本の教育では、「場を乱さない」「目上の人に逆らわない」ことが重んじられる傾向がありますね。結果、会社の中でも、意思表示をすると「面倒くさいやつ」と思われるのではないか、昇進に悪い影響があるのではないかと感じてしまう。変えていくのは、経営者の責任だと思います。SDGsやESG投資の社外専門家に高いお金を支払うよりも、まずは「自社の従業員の声をちゃんと聞いていますか?」と問いたいです。
稲葉:会社のことを一番よくわかっているのは、社員ですからね。従業員の声を拾い集めて生かしていくことは、とても重要だと思います。
佐藤:私はさまざまな企業で、人権についてのアドバイスをしているのですが、社外の人間にはなかなか全容が見えにくいことも多いです。最終的には「中の人」が内側から変えていくしかない。人権の課題にこそ、イノベーションを駆使してほしいと思います。
稲葉:外部の人間にできることは、会社の中に眠っている声を引き出す手伝いですからね。マイノリティの声を生かせるようになり、ダイバーシティ&インクルージョンが実現すれば、それは組織の力になります。お金儲けのために人権を尊重するわけではないですが、人権を尊重することで、多くの人がその企業を支持するようになるので、結果的にビジネスにも還元されていく。その点は経営者の方々にも自信を持っておすすめできますね。
佐藤:そういった意味で、経営陣のダイバーシティを進めることも重要だと思います。「高学歴の男性」というマジョリティだけで構成された経営陣は、森さんの発言(注2)がなぜ女性蔑視なのか理解できない。感度が下がってしまうんです。企業としてできることをポジティブに考え、明確な意見表明をしていくために、経営層の多様性は今後絶対条件になってくると思います。
(注2)2021年2月、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長だった森喜朗氏が、日本オリンピック委員会の臨時評議員会で、「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という趣旨の発言をして国内外から批判を受けた。
人権問題は遠い世界の出来事ではない
稲葉:私たちは「サーキュラーHR」というプロジェクトを通じて、人という資源を「使い捨て」にしない社会の実現を目指しています。本来、人材活用のベースには一人ひとりの人権があると思うのですが、企業で採用や人事を担当している人たちが常に人権を意識しているかというと、必ずしもそうではないと思います。長い間、ビジネスと人権の問題に向き合ってきた佐藤さんから見て、日本企業の人権意識は、総じてプラスの方向に向かっていると感じますか。
佐藤:2011年に指導原則が採択されて以来、多くの企業の方と話してきました。全体として見れば、すぐに格差や差別をなくすことは難しいのが現実です。一方で、企業の中に「人権問題に取り組まなければならない」と危機感を持っている人が増えていることも感じます。抑圧され、表に出ることがなかった声が表に出てきているという点では、長い目で見れば前進しているのかもしれないという希望は持っています。
稲葉:日本は少し前まで、企業の研修で「人権」という言葉を出すと怪訝な顔をされるような状況でした。現在は「ビジネスにおいても人権を守ることが必要」という意識が浸透しはじめています。会社の中で働く個人が人権を考える機会が増えるよう、これからも地道に活動を続けていくしかないですね。
佐藤:その点は非常に重要ですね。会社で働く個人も権利の主体であって、権利を主張することができるわけですから。人権問題は遠い世界の出来事ではなく、自分自身の人権の延長線上にあります。「自分に大切な人がいるのと同じように、あなたも、そして海の向こうのサプライチェーン上の人も誰かの大切な人」という共感の視点を持つことができれば、表面的でない取り組みができるのではないでしょうか。
人権リスクというと、どうしても「〜してはいけない」という発想になりがちですが、本来は個人のウェルビーイングや心理的安全性にかかわることなんです。誰にでも人としての尊厳があり、傷つけられそうなときには声を上げる権利がある。その原点に、常に立ち返っていく必要がありますね。
稲葉:今の日本は、個人を尊重するという意識が低いために、優秀な若者が流出してしまっている状況ですからね。そのことに危機感を持って、変えていく必要があるとあらためて感じました。今日は貴重なお話、ありがとうございました。
<サーキュラーHRへのヒント>
- どんな企業にも人権を侵害するリスクがあり、それをゼロにすることはできない。サプライチェーンの中で人権リスクを特定し、予防・軽減・救済を行って結果を公開する企業の義務が「人権デューデリジェンス」である。
- ユニクロの「ウイグル問題」をきっかけに、日本でも、ビジネスと人権の問題についての関心や危機感が高まっている。
- この社会には、内在化された差別や偏見や格差があり、企業はその構造の中で利益を得ているということを忘れてはいけない。人権問題に対して意見を表明しないことは、中立ではなく問題に加担しているとみなされることになる。
- 人権リスクを放置することは、経営のリスクにつながる。人権を尊重することで、多くの人がその企業を支持するようになり、結果的にビジネスにも還元されていく。
- まずは自社の従業員の声を聞いて戦略やプロジェクトに反映させ、経営陣のダイバーシティを進めることが、SDGsの第一歩である。
【プロフィール】
国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局次長、弁護士(ことのは総合法律事務所)
佐藤 暁子
弁護士。人権方針、人権デューディリジェンス、ステークホルダー・エンゲージメントのコーディネート、政策提言などを通じて、ビジネスと人権の普及・浸透に取り組む。
認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ事務局次長・国際人権NGOビジネスと人権リソースセンター日本リサーチャー/代表・Social Connection for Human Rights共同代表
上智大学法学部国際関係法学科、一橋大学法科大学院、International Institute of Social Studies(オランダ・ハーグ)開発学修士(人権専攻)。
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