「ビジネスと人権」という言葉をよく耳にするようになりました。企業にも、サプライチェーンの中に人権侵害が起こっていないかなどのチェックと改善が求められるようになりつつあります。
一方で、「どこから取り組んだらいいかわからない」「形だけの取り組みになってしまっている」という企業も少なくありません。
「ビジネスと人権」を考える上で、企業はまずどんなことに取り組むべきなのか、「ビジネスと人権」の問題に早くから取り組んできたコンサルティングファーム、オウルズコンサルティンググループの大久保明日奈さんにお話を伺いました。
世界に出て感じた、貧富の差
稲葉編集長:大久保さんも所属されているオウルズコンサルティンググループ(以下オウルズ)の『すべての企業人のためのビジネスと人権入門』を読みました。とても実践的で良くまとまった本ですよね。そもそも、大久保さんはどんな経緯で、コンサルティングの中でもサステナビリティにかかわりたいと思われたのでしょうか?
大久保明日奈さん(以下、敬称略):損保会社で働いた後、ITコンサルタントになったのですが、その後のキャリアを考える中、「自分が本当に好きで関心のある分野で頑張りたい」と感じるようになりました。
そんなとき、『世界がもし100人の村だったら』という本が好きだったことなどを思い出して、イギリスに開発経済の修士号を取りに行ったんです。勉強してみて、途上国の中にある問題についてももちろん気づきはあったのですが、自分の滞在していたイギリスの中ですら、貧しい人は貧しいまま、成功してお金のある人たちが街を創っていき、昔から住んでいた人が遠くに住まなくてはならなくなるという現状を目の当たりにしました。
まずは自分が気づいた問題から取り組んでいきたいと思い、デロイトトーマツコンサルティングでサステナビリティに関わるプロジェクトにかかわり始めました。
サステナビリティがビジネスの重要テーマに
稲葉:その頃から、「ビジネスと人権」というテーマが企業の中で重要になっていくという感覚はあったのですか?
大久保:私が留学から帰国した2017年頃は関連するプロジェクトもかなり少なく、ここまでの広がりをみせるイメージはありませんでした。ここ1~2年で風向きがかなり変わりましたね。
稲葉:『すべての企業人のためのビジネスと人権入門』という本を出版したきっかけは?
大久保:オウルズは早い時期からこのテーマにかかわってきたこともあり、関連する仕事がどんどん増えていました。一方で、まだ取り組みを始められておらず、必要性は感じるものの何をしたらいいかわからないという企業もこれから増えていくだろうと考えました。そこで、2021年ごろから本を出す取り組みをスタートしたのです。当時は「ビジネスと人権」という言葉がきちんと伝わるかどうか悩むような状況だったのですが、最近は、むしろこの言葉をタイトルに入れなければという時代になってきましたね。
本書の中では、ビジネスと人権について、まず何をやらないといけないのか、どういう方法があるのかということを伝えながら、取り組むことが企業にイノベーションなどのポジティブなインパクトをもたらすというメッセージも伝えています。
「ビジネスと人権」に対応しないことがビジネスリスクになる時代
稲葉:この本はとても読みやすく、ポジティブなことも、厳しいことも両方書いてありますよね。また、NPO・NGOとの連携について書かれているところも、ほかの類書にはない視点かなと思いました。
大久保:そうですね。オウルズは、専門性が高いNGO・NPOの方の知見も非常に重要だと考えています。私をはじめ実際にNPOでも活動するメンバーの知見の活用や、各分野の専門性を持つNGO・NPOの方々との連携などを通じて、政府や企業が実態に即した課題解決に取り組むための支援もしてきました。その知見も盛り込んだことは本書の大きな特徴です。
大久保:NPOと聞くと「批判されるのではないか」と脅威を感じる、あるいはCSR活動などを通じた支援先や寄付先として認識している企業も少なくありませんが、実は、自分たちにない知見を提供してくれる心強いパートナーにもなり得る存在です。専門領域の知見を活かしてビジネスを作っていくこともできますし、たとえ問題解決に直接貢献できなくとも、その問題を扱っているNPOを支援することで、企業の本気度を感じてもらうことができます。対外的なメッセージを発信するときも、NPOを巻き込んで意見を聞き、反映することで世間の人からの見え方が大きく変わっていくと思います。
稲葉:「人権」という言葉を使うと企業の方は身構えてしまうところがあると思うのですが、そのあたりはどう伝えているのでしょうか?
大久保:企業は「ビジネスにどういう影響があるのか」という点について腹落ちしないと、形だけの慈善活動として受け止めてしまいがちです。私たちも、社会の要請や国際的なルールがどう変わってきているかをお伝えしています。勿論、「人権リスク ≠ ビジネスリスク」ですが、企業が変わるにはビジネス視点の影響分析も必要です。具体的には、対応をしないことで売上が下がる可能性があったり、人権対応にかかるコストが上がってしまったりするなど、ビジネスリスクがあるとわかれば、危機感が高まるのではないでしょうか。
完璧でなくともギャップを確認し、アクションを決める
稲葉:日本企業が、人権問題にきちんと目を向けられるようになるには、どうしたらよいのでしょう。個人的な感触としては、日本企業の特徴として、完璧といかないまでも、人権対策が自社の理想とする80%くらいまでできていないと、外に発信してはいけない、と思う企業も多いように感じています。
大久保:全部完璧にしないと開示してはいけないのではと考えてしまう日本企業は確かに多いですね。ただ、ビジネスと人権の領域は非常に幅広く、身近なところではハラスメントに関することから、サプライチェーンの児童労働に関する話も関連があります。ですから、100%人権リスクはないと言い切ることは不可能です。
大久保:企業には、現状把握と目標設定をして、具体的なアクションを取っていくことの大切さを伝えています。現状を把握した上で、まずハラスメントについて解決しようと思ったのなら外部の専門家を招いて研修をするのもいいですし、サプライヤー(商品や部品などを供給する業者)での人権侵害が課題なのであれば、質問票を設計してサプライヤーに書いてもらうことから始めるのもよいと思います。
こういったアクションは、今後投資家からも重視されていくと思います。投資家は初めから完璧な対策を求めているわけではなく、リスクがあるのなら対応をしてほしいと考えているはずです。カーボンニュートラルの領域では、海外投資家は企業のアクションをかなり具体的に見ていると聞いたことがあります。ビジネスと人権の領域でも、具体的なアクションの方向性を発信していくことが、今後一層重要になっていくのではないでしょうか。
相手を「自分と同じ人間」として認識できる想像力
稲葉:別の視点として、日本企業における想像力の貧困さが大きな課題だと思っています。世の中の変化や、自分の使っているPCや備品がどこから来ているのかといったことを、社員の皆さんは想像できていないのではないでしょうか。
大久保:私は考える機会がないだけだと思っています。自分たちの生活で同じような困難に直面する機会がないと、途上国のことや身近に起こっている人権侵害にも意識が向きづらいのではないでしょうか。私はオウルズでのコンサルタントとしての仕事に加え、エシカル協会という「エシカル消費」について普及するNPOでも活動しています。エシカル協会の活動の一環で社会課題の現状について講演する機会も多くありますが、「途上国でこういうことが起こっているんですよ」と伝えることで、行動が大きく変わる方もいらっしゃいます。企業としては、働く人に、ビジネスと人権に取り組む背景で何が起こっているのか、情報をきちんと伝えていくことが大切なのではないでしょうか。
大久保:私は、気候変動は「時間的な遠さ」、途上国の問題は「距離の遠さ」があるために、想像しにくいのではないかと思っています。雇用形態の違いに関する問題であれば、「精神的な遠さ」と言えるかもしれません。途上国のサプライチェーンにおける強制労働や児童労働の課題はその最たる例です。「自分とは違う人」だと思うと、行動を起こすことは難しい。「自分と同じ『人間』の問題だ」と認識できたときに、初めてアクションが変わっていくのだと思います。そういう意味で、企業の中にいても、他者との触れ合いはとても大切ですね。専門家の知見を取り入れることも一案です。
本気になれる企業を増やしていくために
稲葉:企業の変化を支えるため、今後大久保さんが取り組んでいきたいことを教えてください。
大久保:企業が「本当に変わる」ってどういうことなんだろう? と常に考えています。企業がいるから社会課題の解決も進むというのが、本来の望ましい在り方です。ただ、なかなかそうもいかないケースもありますよね。
例えば、シャンプーを作っている会社から、「地球環境のことを考えると、自分たちの企業はなくなったほうがいいのだろうか」という声を聞いたことがあります。実際には、人間の生活に基づいたビジネスがなくなるとは考えにくいですが、そこまで本気になれる企業が出てきて、今できることを考えている事実が大切だと思うのです。活動を通じて、そういう企業を増やしていきたいですね。
【執筆:笠原香織 編集:髙橋三保子】
〈サーキュラーHRへのヒント〉
- ここ数年、「ビジネスと人権」というテーマに注目が集まり、取り組みをスタートする企業が増えつつある。
- 企業は、自社の「できていないところ」を恐れず、目標と現状、そのギャップを埋めるためのアクションを開示していくことが必要。こういった点が、今後は投資家からも評価の対象になっていく。
- 人権課題の対象となる方が「遠い存在ではなく、同じ人間に起こっていることなんだ」と認識できるよう、企業は働く人に対してビジネスと人権に取り組む背景を共有していくとよい。
【プロフィール】
オウルズコンサルティング 大久保明日奈
株式会社オウルズコンサルティンググループ プリンシパル。金融機関、ITアドバイザリーファーム、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社等を経て現職。慶應義塾大学卒業。英国ユニバーシティカレッジロンドン都市開発経済学修士課程修了。サステナビリティ戦略をテーマとするプロジェクトを多数担当。環境政策、非財務情報開示、「ビジネスと人権」など、サステナビリティ分野における広範なテーマに対する知見を有する。一般社団法人エシカル協会理事。
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