ダイバーシティ推進に取り組む企業が増えています。
女性活躍推進や、障がい者雇用率の達成などがわかりやすい目標として掲げられる一方、目に見えないアイデンティティであるセクシュアル・マイノリティ、LGBTの活躍については、まだ手つかずの企業が多いという現実があります。
そんな中、2003年からいち早くダイバーシティを掲げてきた損害保険ジャパン株式会社(以下、損保ジャパン)では、LGBTの社員が働きやすい環境を整備し、LGBTに関する理解の促進にも取り組んでいます。
日本では10〜13人に1人といわれるLGBTの当事者が、強みを発揮して自分らしく働ける環境を整えるためには何から始めればいいのか。損保ジャパンでダイバーシティ推進業務に携わり、自らもLGBT当事者である今将人さんに教えていただきました。
セクシュアリティをオープンにするかどうかを、自分で決めたい
ーーはじめに、今さんが損保ジャパンでダイバーシティのお仕事をするようになった経緯を教えてください。
今将人さん(以下、敬称略):20〜30代のころ、トランスジェンダーとして生きづらさを感じる中で、うつ病とアルコール依存症を患っていました。女性の肝臓を持つアルコール依存症患者の平均寿命は、42歳程度ともいわれています。そのことを知っていたので、42歳という年齢が、いつの間にか自分の中でひとつの期限になっていました。42歳になったとき、「あとは人生のボーナスステージのようなつもりで、好きに生きよう」と思ったのです。離婚や引っ越しを経験し、「ダイバーシティに関連する仕事がしたい」という想いを実現するため、転職活動を始めました。
ーー転職は、すぐに決まったのですか。
今:希望の仕事に出会うまで、10カ月ほどかかりました。
前職では、障がい者雇用の枠で、嘱託職員として働いていました。社内報にダイバーシティについてのコラムを寄稿していたのですが、あるとき上司に呼び出され「あなたはLGBTなの?」と聞かれたのです。「はい、そうです」と答えたら「そういうことは人に言わないほうがいい」と言われました。驚くと同時に、とてもショックでした。自分のセクシュアリティをオープンにするかどうかを自分で決められないのは不本意だと感じたこともきっかけとなり、転職を決めました。
ーー損保ジャパンに転職することを決めたのは、どんな理由からだったのでしょう。
今:大学では臨床心理学を専攻し、大学院ではトランスジェンダーについて研究していました。もともと、セクシュアル・マイノリティであることを理由に差別されるような社会を変えたいという想いがあったのです。
損保ジャパンの採用面接では、そういった想いやこれまでの経緯、セクシュアリティや障がいについてオープンにしていきたいという気持ちもすべて話した上で、採用に至りました。当時の損保ジャパンでは、LGBTや障がいの当事者自身が、社内で研修を行える体制を作りたいと考えていたようです。
ーー一緒に働いている仲間が困っていたら、手を差し伸べようと思いますものね。
今:社外から講師を迎えるよりも、社内の講師が話すことで「自分の会社にもそういう人がいるんだ」「仲間が過ごしやすいようにしよう」と感じてもらいやすいのではないでしょうか。
ーー今さんのこれまでのご経験と、会社のニーズがぴったり一致したのですね。
今:はい。闇雲に転職せず、10カ月間待って本当に良かったと思っています。私は障がいの当事者であると同時に、セクシャル・マイノリティでもあるので、より包括的なスタンスでダイバーシティにかかわることができ、そこが強みだと思っています。マイノリティは「かわいそうな他者」ではなく、あなたも私も多様性の一部なのだということを伝えていきたいですね。
障がい者やLGBTの画一的なイメージを変えていく
ーー研修のほかには、どのような業務を担当しているのですか?
今:障がい者採用事務や、採用した障がい者の支援・相談、社内で多様な働き方のロールモデルとなる人のインタビュー動画制作、社内のERG(Employee Resource Group)活動の運営も行なっています。
ーーマイノリティの方に寄り添った施策を、本当にたくさん手がけているのですね! ERG活動とはどのようなものなのですか。
今:活動内容は年々変化しているのですが、育児、介護、LGBTなど11のテーマごとに分科会を設け、多様な視点を持った社員が、新たな価値創造や風土改革に向けてボトムアップ型の活動を行っています。また、メンバーには個人としてもダイバーシティ&インクルージョンを推進するインフルエンサーとして活動をしてもらいます。
ーー一方的に研修をするだけでは、なかなか現場までダイバーシティの価値観が浸透しにくいですが、核となる方がそれぞれの部署で発信することで、隅々まで行きわたる効果を期待できそうですね。
今:はい。働きやすさを実現するため、それぞれの現場で自発的に動いてもらっていて、とても心強いです。
ーーLGBTの活躍推進がなかなか進まない企業も多い中、損保ジャパンではなぜ、これほど手厚い施策ができるのでしょうか。
今:当社ではグループ全体で「Diversity for Growth」というスローガンを掲げています。そのため、まずは女性活躍を切り口にダイバーシティを推進し、現在はグローバル人材、シニア、LGBT、障がい者とより多様な人材に広がってきたという経緯です。
<損保ジャパン「Diversity Book」より>
ーー会社の方針として、戦略的にダイバーシティを進めてきたのですね。今さんのような当事者の方を採用して、社内で活躍してもらうことも、大きな推進力になりますね。
今:ダイバーシティを考える大前提として、「全員が多様性の当事者である」「すべての人はマジョリティ性もマイノリティ性も持っている」というお話をさせていただいています。その上で、ある人のマイノリティの側面によって働きにくくなっている環境を改善するだけではなく、十全に力を発揮して働きがいを感じてもらうことも大切だと考えています。
例えば障がい者雇用についても、「とりあえず数をそろえて、座っていてもらえばいい」というような採用の仕方は、当社では行っていません。マイノリティの雇用を進めるためには、たとえば障がい者を受け入れる部署のメンバーに「障がい者って、意外とふつうの人なんだな」と思ってもらうことも大切だと思っています。
これは私がプライベートで経験したことなのですが、知り合った時から障がいがあることを話していた相手に「今さんのようにふつうに話している方が障がい者なわけがない」と言われてしまったことがあります。障がい者やLGBTについての画一的なイメージを変えていく、目の前にいる当事者に向き合ってもらうところから取り組んでいきたいと思っています。
ーーコロナ禍で、ダイバーシティ推進には何か影響がありましたか?
今:明確にありますね。当社はコロナ前からテレワークができる環境でしたが、これまで以上に場所を選ばず働けるようになりました。障がい者や妊娠、育児、介護などをしている社員は以前より働きやすくなっています。一方で、障がいの有無にかかわらず、運動量が減ったり、時間が不規則になったりすることで、体調を崩す社員も増えており社員が自分自身のケアをするための情報発信を心がけています。
当事者が声を上げやすい雰囲気をつくることが大切
ーー私たちはサーキュラーHRというプロジェクトを通じて、「人」という資源を循環させていく社会を実現したいと考えています。ダイバーシティに取り組みたいけれど、何から取り組むべきかわからないという企業の方にアドバイスをするとしたら、今さんはどんな言葉をかけますか?
今:まずは、自分たちの会社が抱えている課題を把握することから始めるのがいいかなと思います。ダイバーシティ推進には、女性管理職比率や障がい者雇用率などの指標もありますが、自社の課題は数値化できるものなのか。数値化できるとしたら、どの指標を達成したいのかというイメージを明確に持っているほうが進めやすいのではないでしょうか。
ーー大企業にはダイバーシティのための予算を確保する余裕があるけれど、規模の小さい会社ではなかなか難しいという話も聞きます。
今:会社が予算を使って行う施策も大事ですが、社内の当事者や支援者が、自分たちで声を上げたり、自発的に行動を起こしたりできる雰囲気づくりも大切ではないでしょうか。その意味で、社内に多様な人材がいることが当たり前になっている会社は、規模の大小にかかわらず強いと思います。
ーー社員にとって、声を上げやすい雰囲気があることはとても大切ですね。経営陣が一人ひとりのメンバーと向き合ってコミュニケーションをすることで、そういった社風がつくられていくのかもしれません。
今:上に立つ人がお客様の多様性を理解していれば、社員の多様性についてもセンシティブでいられるのではないでしょうか。
自分にとっての「生きやすさ」を意識する
ーー今、生きづらさを抱えていて、自分らしく働くのが難しい方にメッセージがあれば、ぜひお願いします。
今:人によって持っているリソースは違います。今、セクシュアリティや障がいの困り事によって十全に能力を発揮できない方には「あなたの持っているリソースで、生き延びる方法を考えてください」とお伝えしたいです。
ーーそれは、健康でマイノリティ性のない人と同じ水準を達成しようとして、無理をしすぎないでということですか?
今:比べる相手は他者ではなく、常に自分自身であってほしいと思っています。誰かを羨ましいと思うより、過去の自分と比べて少し生きやすくなった、ポジティブな感情を抱きやすくなったという状態を目指すと、楽になるのではないでしょうか。
例えば、トランスジェンダー当事者は「スカートを履きたい、だって自分は女性だから」「力仕事を進んでするべきだ、だって自分は男性だから」というような、性別役割を引き受けがちです。
しかし自分が目指すことは何なのか、自分にとって「生きやすい」とはどんな状態なのか、自分の中に答えを見つけることが大切だと思います。社会が期待する「普通」から外れていることで「普通」を疑うチャンスを持てることが、マイノリティの強みであると思います。
ーー自分自身のありたい姿や、居心地の良さは自分にしかわからないですものね。最後に、今さんがこれから実現したいことを教えてください。
今:私には、「博士号を取得したい」という大きな夢があります。かつて大学院在学中にうつ病を発症し、修士課程が終わったところで学問を止めてしまいました。以前の私は、世の中で「普通」とされることに馴染もうとしてがんばった結果、苦しくなってしまったと感じています。今後は、そもそも「普通とは何か」ということを問うために、学び続けていきたいです。
<サーキュラーHRへのヒント>
- ダイバーシティ研修では、社外講師を迎えるよりも、社内の当事者が講師として話すことで「自分の会社にもそういう人がいるんだ」「仲間が過ごしやすいようにしよう」と感じてもらいやすい場合がある。
- 損保ジャパンでは、育児、介護、LGBTなどテーマごとにダイバーシティのコミュニティを設け、各現場のインフルエンサーへの情報共有やエンパワーメントにつとめている。
- ダイバーシティ推進のためには、会社が予算を使って行う施策だけでなく、社内の当事者や支援者が、自分たちで声を上げたり、自発的に行動を起こしたりできる雰囲気づくりが大切である。
【プロフィール】
損害保険ジャパン株式会社 人事部 人材開発グループ
今将人
佛教大大学院社会学研究科修士課程修了後、精神疾患の治療をしながら塾講師、交通警備員、工場労働などの非正規雇用を経て、19年5月損害保険ジャパン日本興亜(現損害保険ジャパン)に入社。著書に『トランスがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考』(アットワークス・共著)、『恋愛のフツーがわかりません!!―ゆらぎのセクシュアリティ考2』(アットワークス・共著)がある。
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